大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(行コ)55号 判決

控訴人

法務大臣

西郷吉之助

右指定代理人

小林定人

ほか三名

被控訴人

許南麒

ほか十一名

右一二名代理人

近藤綸二

ほか一八名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の陳述は、控訴人および被控訴人らがそれぞれ次のように附加したほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

控訴人は

一  被控訴人らは、もはや本件処分の取消を求める法律上の利益を有しない。被控訴人らは、本訴において、被控訴人らのした朝鮮民主主義人民共和国創建二〇周年記念日の祝典に参加するための同国むけの再入国許可申請に対し、控訴人法務大臣のした拒否処分の取消を求めるものであるが、前記祝典は昭和四三年九月九日終了し、続いて同国の各地で催されるという行事も同年一〇月一七日に終了したことは被控訴人らの自ら認めるところであるから、たとえ被控訴人らが勝訴の判決を受け、右拒否処分が取消されたとしても、被控訴人らはもはやその申請にかかる再入国許可を受けるに由ないものである。従つて、被控訴人らは、もはや右処分の取消を求める法律上の利益を失つたものといわなければならないから、本件訴は却下さるべきである。

二  本件不許可は次に述べる如き理由に則り、再入国を許可することは国益に反するものと認めてなされたものである。すなわち、わが国に接する朝鮮半島には、わが国と国交関係のある大韓民国が存在しているところ、北朝鮮には、わが国が承認した政府がなく、また承認を前提とする修交関係が設定されていないこと、並びにわが国には、いわゆる在日朝鮮人(大韓民国の国籍を有する者を含む)が約六〇万人在留し、従来から南北が対立抗争の状況下にあること等内外の諸般の情勢からみて、本件再入国を許可することは対韓外交上および在日朝鮮人の管理上、わが国の国益に沿わないとの結論に達したので、これを許可しなかつたものである。

と述べた。

被控訴人らは

被控訴人らは原物決別表記載の日程により朝鮮民主主義人民共和国を訪問したのち再入国をする予定であつたが、右日程の最終日もすでに経過した。しかしこのことによつて本訴の訴の利益が消滅することはない。すなわち、被控訴人らの訪問の目的は、在日朝鮮人を代表して祖国創建二〇周年を祝賀し、同共和国の各種記念行事に参加し、あわせて直接共和国同胞に接して喜こびを分ち、一そうの努力を誓いあいたいというにある。右共和国の記念行事は昭和四三年一〇月二三日に終るものではなくて、ひきつづき多彩に展開されているばかりでなく、同共和国は被控訴人ら祝賀団の訪問を鶴首して待ちうけ、被控訴人らの訪問が実現したときはいつまでも国をあげてこれを歓迎する態勢にあり、被控訴人らも本件再入国許可があり次第、いつでも祖国を訪問する用意をととのえている。従つて、前記予定日程の最終日を経過したことは、本件再入国不許可処分の取消を求める必要性すなわち本訴の訴の利益の存在に対し、なんらの影響も及ぼさない。

と述べた。

《証拠省略》

理由

先ず控訴人は、「被控訴人らは適式の再入国許可申請書を提出していないので、控訴人も再入国許否の処分をしていない。仮に申請を拒否する処分があつたとしても、それは申請が不適式であることを理由とする却下処分であつて不許可処分ではない。従つて本訴は不適法である。」と主張する。

〈証拠〉によつて認められる本件再入国許可申請書の様式が、出入国管理令施行規則第二四条第一項所定の書式(同規則別記第二五号様式)と異なつていることは明らかであり、右申請書の提出に当つて同条第二項の規定する、旅券、証明書等が呈示されなかつたことは争がない。しかし、〈証拠〉によれば、原判決理由一1記載の経緯で控訴人が右申請書による再入国許可申請を不許可と決定し、昭和四三年八月二〇日閣議に報告し了承を得て、事務担当課長である法務省入国管理局資格審査課長をして被控訴人許に対し、電話により右決定の結論を通告させたことが認められる(右通告の事実は争がない。)。されば控訴人は、本件申請が不適式であることを咎めて却下処分をすることなく、申請が適式にされた場合と同等な取扱いをして実質的理由によりこれを不許可と決定したものと解し得られるのであり、かような取扱いをした理由は、控訴人が、被控訴人らがいずれも戦前からわが国に在留していて旅券を持たない在留外国人であることを承知し、かつ、申請を実質的理由によつて拒否する以上違式の点は問わないこととしたためであることは、右証人の証言ならびに口頭弁論の全趣旨によつて明らかである。従つて控訴人の主張は理由がない。

次に控訴人は、被控訴人らが予定していた祖国訪問日程の最終日もすでに経過したから、本件申請不許可処分の取消を求める訴の利益はないと主張する。

被控訴人らが原判決別表記載の日程で祖国を訪問する予定であつたことは、被控訴人らが主張するところであるが、原審の被控訴人許本人尋問の結果と口頭弁論の全趣旨によると、被控訴人らは祖国の創建二〇周年に際して祖国を訪問することが目的であつて、右日程表記載の期間中に訪問を遂げることをもつて最上とするけれども、右期間をはずしては訪問の意義がないということではなく、昭和四三年中或はこれに接する時期に訪問することができるならば十分に成果があることを推認することができる。従つて、申請に対する不許可処分取消を求める訴の利益は現に存すること言うをまたず、控訴人の主張は当を得ないものである。もちろん本件申請書に記載された旅行日程は、最終的には出入国管理令施行規則の規定に従つて訂正を要するであろうが、かような訂正措置は手続上の事項に過ぎず、これによつて本件申請を取下げて別個の申請をするものと見るべきでないことは当然である。

そこで次に本件不許可処分の適否を判断する。

日本国民の基本的自由権の一つである一時的海外旅行の自由は、憲法第二二条第一項によつて保障されると解する(同条第二項によるとしても公共の福祉による制限をうけると解する限りは結論において等しい。)が、日本国の領土内に存住する外国人は、日本国の主権に服すると共にその身体、財産、基本的自由等の保護をうける権利があることは明らかであるから、日本国民が憲法第二二条第一項(または第二項)によつて享受すると同様に、公共の福祉に反しない限度で海外旅行の自由を享有する権利があるといつてよい(同条項が在留外国人に対しても直接適用があると解すればなおさらのことである。)。然して、被控訴人らが、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律第二条第六項によつてわが国に在留する権限のある者であることは争がなく、その経歴、家族構成が原判決事実適示のとおりであることは原審の被控訴人許本人尋問の結果から認められるところであり、ただ被控訴人らが朝鮮民主主義人民共和国の公民であるため、現在点では大韓民国国民の有するような永住許可申請権(昭和四〇年法律第一四六号による。)を有しないけれども、在留期間の制限をうけない点では、永住権者と同視すべき外国人であるから、被控訴人らは海外旅行に関して、日本国民と同様な自由の保障を与えられているということができる。本件再入国許可申請の実質は海外旅行の許可の申請であるから、本件申請に対して出入国管理令第二六条による許否を決するに当つては、右に述べた趣旨に則ることが要請されるのであつて、この点は原審の判断(判決理由二1末尾「上記管理令の条項は」以下)と帰結するところが等しい。

ところで控訴人は、不許可処分の理由として、(一)北朝鮮にわが国が承認した政府がなく国交が開かれていないこと、(二)本件申請を許可することはわが国と大韓民国との修交上および在日朝鮮人の管理上国益に沿わない結果となることを挙示する。

右第一の点は、成立に争のない甲第一二号証に収録された法務省入国管理局長の答弁によつて認められる、在日中華人民共和国国民の再入国許可件数が、昭和三二年三月から昭和四三年一一月一二日までの間に八九七件を数えていることからみれば、客観的にも本件申請を拒否する絶対的な理由でないことが明らかである。要するに、さきに記述した、日本国民と同様の海外旅行の自由の保障をうけるべき在留外国人の再入国の許否は、当該外国人の本国とわが国との間に国交が開かれているか否かとは、かかわりのないものと解される。

第二の点について、考えるに、わが国と大韓民国とは国交を開いていて在日同国民の法的地位等についてはすでに協定が成立し、これに伴う特別法も施行されているが、わが国と朝鮮民主主義人民共和国との間には国交がなく、在日同国公民については右のような協定が成立していないこと、右両国の国民の間に、国境線をはさんで時に不穏の動きがあることが報道され、またわが国内でも時に大韓民国居留民団と在日朝鮮人総聯合会との各構成員間の確執が報ぜられることは、すべて公知のことがらである。かような事情に着目すれば、本件申請を許可した後の国際および国内の事態について、控訴人が何らかの危惧をいだくことは故なしとせず、それ故にこそ控訴人は政策として申請を許可しなかつたものと考えられる。しかしながらわが国の国益というものは、究極においては憲法前文にあるとおり、いずれの国の国民とも協和することの中に見出すべきものであるから、一国との修交に支障を生ずる虞があるからといつて、他の一国の国民が本来享有する自由権を行使することをもつて、ただちにわが国の国益を害するものと断定することは極めて偏頗であり誤りといわなければならない。すなわち、元来政府の政策は、国益や公共の福祉を目標として企画実施されるべきことは多言を要しないが、政策と公共の福祉とは同義ではないから、或る人々が本来享有する海外旅行の自由を行使することが、たとえ政府の当面の政策に沿わないものであつても、政策に沿わないということのみで右自由権の行使が公共の福祉に反するとの結論は導かれないのである。そうして本件では、今後の事態については具体的な主張立証もないから、それは憶測の域を出ないものと思われ、わが国に対する明白な危険が予知されているとは認められないので、結局被控訴人らの海外旅行が、(旅券法第一三条の表現を借りるならば)著しくかつ直接に国益を害する虞があることすなわち公共の福祉に反するものであることは、確定されないことに帰着する。よつて控訴人主張の事由は本件不許可処分を正当とする理由とはなし得ない。

なお、本件口頭弁論終結後控訴人が提出した準備書面によれば、本件不許可処分の理由の中には、被控訴人らの渡航目的が政治意図が強いことも考慮されているように窺われるので附言する。一般に政治性の強弱の判定基準は極めて主観的なものである。本件渡航目的は、建国記念の諸行事に参加するためというのであつたから、政治的意図が強いということは一応はいえるであろう。しかし建国記念行事は世界各国において行なわれている極めて普遍的かつ開放的な行事であり、海外居住のその国の国民がそれへ参加することを、他国が拒止する理由も通常はない筈である。本件の場合も同様であつて、被控訴人らが祖国の建国記念行事に参加することをわが国の政府が差止めることを特に正当とすべき理由も見出せない。要するに、本件申請目的から汲みとれる政治的意図は、それだけでは申請拒否の理由とはなりがたい。

如上のとおり、本件申請拒否の理由はそれぞれ薄弱であり、これらを合しても拒否を正当とする理由にはならないので、本件行政処分の取消を求める被控訴人の請求はこれを認容すべきものである。よつてこれと同趣旨の原判決は相当で本件控訴は理由がないから、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(近藤完爾 小堀勇 吉江清景)

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